第33話  「南突堤・廊下」          平成26年8月16日  

 南突堤の左側(最上川)に海面すれすれに豆腐石が、100メートルほど川下に向かって、ずっと敷かれていた場所がある。当時通称廊下と呼ばれていた場所である。ここは、雨が降って泥水が流れてきたり、海が荒れたりすると直ぐに波を被り海面下となる。その先に、豆腐石が壊れている場所があり、其処をガタガタと呼んだ。そしてその先に防波堤が急に広くなっている場所がある。其処を二階と呼んだ。そしてその先に、また防波堤が少し広くなった場所がある。其処を三階と呼んだ。そして三階から真っ直ぐ先(直線)が、旧々赤灯台となる。今は其処から斜め右側に防波堤が伸び数百メートル先に赤灯台がある。
 中学時代は廊下と呼ばれた場所で大いにクロダイの二、三歳釣りに打ち興じた。今ではテトラが入り昔の面影は少しも感じられない。誰も、釣する人もいない寂しい場所となってしまった。五、六歳の頃にハゼ釣りを覚え、小学四、五年頃には自宅近くの千トン岸壁でコアジ、イワシ、ダツ、ナナキリ(石鯛の子)などを釣っていた。その頃はまだ港内の水もきれいで、岸壁の下を覗くと時々海底が透けて見えた。そして5〜6メートルの海底を尺五寸クラスの大きなクロダイが悠々と泳ぐ姿を何度となく垣間見た。見える魚は決して釣れない。何時か釣りたいと云う夢を見たものだ。
そして中学に入った頃、大人たちが南防波堤で引きの良い大きいクロダイを釣っているのを知った。二年生になった頃になると学校を終えると自転車にまたがり安い釣竿を担ぎ、シャベルを積んで南突堤に続く道路を走った。途中最上川と新井田川をつなぐ水門があり、その先に家はない。畑の中を通り新井田川の浅い汽水地域でシャベルを使ってゴカイを捕まえる。
 夕マヅメの一時間半に間に合う為の釣りであるから、ゴカイ採りを30分程度で終える。廊下で二、三歳が釣れるのは、七月の中頃が一番良い。上流に大雨が降り、濁り水が河口に下って来る。すると二、三歳を中心に尺物クロダイが一斉にこの場所に集まって来た。水量が多いので水面スレスレの低い豆腐石に上がって釣る事は出来ないので、防波堤の上から釣る事になる。竿は庄内竿の4メートルに満たない延べ竿の二間一尺を使っていた。小遣いが少なくこの長さの竿が、その当時買えるギリギリのものであった。竿が短いので、常に腕を水平に伸ばしながらの釣りとなる。豆腐石の少し先の海底は大小の女鹿石(秋田県境の女鹿から運ん出来た石)が、びっしりと入っていて、其処に多くのクロダイが住み着いていた。仕掛けが川水に流されぬように、錘は少し重めにして底に沈める。が、同時に底の障害物に仕掛けが引っ掛かると云うトラブルもしばしばであった。それでもそんな代償を超える、クロダイの強い引きと云う面白さを味わう事が出来た。ただその場所でクロダイ釣りが出来ぬ時がある。それは其処が夏や晩秋の一時期多い時で数百人が集まるスズキ釣りの流し釣りの良いポイントとなる時があるからである。


南突堤の名称(昭和40年代の中頃までか・・・?)
もっこ→廊下→ガタガタ→二階→三階→座敷(旧旧赤灯台のあった場所) この先を曲がり(現在は其処を壁、40年代に曲がりの先に灯台が移設、現在は更に其処から数百メートル先に移設)と呼ばれた。時代と共に呼称が、変わり一抹の寂しさを覚える。